滋賀 LD教育 発達障害 特別支援教育 自閉症スペクトラム S.E.N.S滋賀支部

滋賀LD教育研究会(S.E.N.Sの会滋賀支部会)

会長より

2021年まとめ冊子巻頭言から
 
 2020年まとめ冊子巻頭言から

一人ひとりの子どもたちへの「めくばり・てくばり・こころくばり」、

特別支援教育は「場の教育から、ニーズの教育へ」だったと思うのですが・・・違いましたっけ?  

滋賀LD教育研究会会長 久 郷  悟

コロナ禍に悩まされた1年となりました。みなさまどのようにお過ごしでしょうか。各学校では、様々な

行事等の開催に向け、今までにない新たな発想での創意工夫された取り組みがなされ、平素か

ら子どもを思う教育者の能力の高さを感じさせていただいております。

特別支援教育の実践に対しましても同じ思いでの思い切った取り組みがほしいところです。

さて、教育相談にかかわる中で、各地域の「特別支援教育」はどのように考え取り組まれているのか、あまりにも市町ごとに違いがあることに驚かされている昨今です。

「個別の教育支援計画」、「個別の指導計画」をとってみても、市町の教育実践に相当な温度差と違いがあるように思います。相談にみえる保護者の方にお困りの点について尋ねると、医療機関で診断が出ているので「通常学級ではねえ」と特別支援学級への話が出ているケースもあります。通常学級での「教師の困り感」からの判断だけで特別支援学級を勧めるところもありそうです。「その子の困り感に対する合理的配慮」の考え方に課題が山積しています。「個別の指導計画」を見せていただこうとすると、「学校の方針で保護者の方にはコピーをお渡しすることはできません」と言われるところもあり、保護者の方が「じゃあ、メモすることはいいですよね」と、メモをとられ保護者の方が自作されて持参されるケースもありました。

「個別の指導計画」は、支援する方々が、実態の分析と具体的な手だてを考え合いながら、その手だてを実践し、時期を見て再評価・検討を加えていくものだと思うのですが、そうした動きの見られないところが多いように思います。そのお子さんの支援者の最も重要な方が保護者だと思うのですが、どうも枠の外に置かれるところがあるようです。

通常学級から特別支援学級へ移った子どもたちが、特別支援学級で個別の指導計画にのっとった形で学校生活を過ごせているのでしょうか。年度初めに市教委に提出する「特別支援学級・通級指導教室教育課程実施計画書」に書かれたように日々の活動ができているのでしょうか。「生活単元学習」「自立活動」「交流及び共同学習」等々の実態はどうでしょうか。学習風景を見ると「個別のドリル学習」が進められている場面を目にすることが多いのですが。

文科省の「GIGAスクール構想」のもと、一人一台のコンピュータや高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備するという動きで、県内各市町ともに予算化され、もう既に子どもの手元に届いているところもあります。PC端末は「鉛筆やノートと並ぶマストアイテム、必需品」であると言われ、多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、個別最適化された学びの実現を図るとされています。

コンピュータの利用についての考え・解釈はいろいろあるように思いますが、教科書会社がデジタル教科書の開発を進めていますし、指導者用、学習者用の端末をどのように扱い、進めていくかは、先生方にかかっています。思い切った創意工夫がされた様々な教育実践に期待したいものです。

茨城大学工学部で開発された「音声付き教科書」を使っている読みにつまずいている子どもたちがいます。この教科書は、音声ペンで語や文などをタッチすると朗読がされるという仕組みになっています。既に滋賀県でも有効に利用している子どもたちがいます。

教育の世界は急速に変化していきます。コロナ禍の中で、「学校って、学校の魅力って、学校ですることって何だろう」等々、学校そのものの在り方や、通常学級・特別支援学級などでの特別支援教育の在り方そのものについて「原点」に立ち戻って、再度考えるときが来ているのではと思われます。 

滋賀LD教育研究会に集う仲間の今後更なる踏ん張りをお願いします。           合 掌


 2019年まとめ冊子巻頭言から

滋賀LD教育研究会(S.E.N.Sの会滋賀支部会)会長 久郷 悟

昨年度末からコロナ感染への対応について大変な事態になりましたが、会員の皆様におかれましては如何お過ごしだったでしょうか。地域や学校等によっては、コンピュータを用いたネットワーク、オンラインを通しての研修や講義、学習等でうまく展開されていたところもあったように聞き及びます。

平成19年度「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられ、校長の責務やリーダーシップ、特別支援コーディネーター指名、個別の教育支援計画と個別の指導計画の作成等々次々と魅惑的な用語が聞かれてきました。以来、私たちは目の前にいる子どもが困っていることに「気づける」先生をどれほど育てあげることができたでしょうか。

就学指導委員会が支援委員会に改称され随分就学支援の在り方も変わってきているとは思うのですが、しかし、現状の県内小中高での特別支援教育には多くの表裏の課題が見え隠れしているように思われてなりません。県内の特別支援学級在籍児童生徒数や通級指導利用者数はかなり増加傾向にあり、特別支援学級や通級指導教室が次々に新設・増設されています。特別な支援を行う場所としての枠が増え、その上、支援員も多く配置されてきています。数的に個に即した分厚い指導が重ねられているようには見えるのですが、果たして個々の特性や将来を見通した内容、教育環境になっているのでしょうか。

滋賀県では現在「読み解く力」の育成に重点を置いた児童生徒が学びを実感できる授業づくりをめざして「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた教育実践に力が入れられています。その中で「学びにくさ」のある子への支援や指導の在り方も合わせて問われています。

一方、文科省の方では「GIGAスクール構想」(Global and Innovation Gateway for All)実現に向けた「未来の学び」構築環境整備が内閣官房IT総合戦略室や総務省、経済産業省の方で横断的な支援策が講じられています。県内で市町によっては今年度の予算に計上され、ネットワーク環境整備とコンピュータ一人一台端末の環境下、「学びの深化」「学びの転換」が図られようとしています。

SLD(DSM-5:Specific Learning Disorder:限局性学習症)の症状のある子どもたち、「読み書き」特にディスレキシア(ディスレクシアとも:dyslexia)の特性がある子には、ネットワーク、コンピュータを取り入れた学習環境は、旧態依然とした学習指導の在り方そのものを根底から発想の転換が図られる有効な合理的配慮環境そのものになると考えられます。奈良県では県全域で取り組まれるようです。

私たちは、「足下を見つめ直し、今、何をめざし、何を究めていくのか」、国や他都道府県の動きに目配りしながら、滋賀県の「特別支援教育」を再考すべき時機が来ているように思います。

子どもの困り感にいち早く「気づき」、動かせる先生「あなた」の存在は実に逞しく、仲間同士のつながりは大きな力となります。特に、若い人たちの「さっと動ける力」や「縦横のつながっていける力」、状況を見極めていく「アンテナの高さ」にはさすがと感心することばかりです。

この冊子には仲間の活動内容が凝縮されています。目を通していただき、今後の活動につながりますように祈念しますと共に、新たな研究仲間の発掘に利用していただければ幸いです。  合掌

 2018年まとめ冊子巻頭言から

滋賀LD教育研究会(S.E.N.Sの会滋賀支部会)副会長 小西喜朗

 人は、生まれながらにして、人間らしさと自分らしさの両方を生きようとしていると言われます。泣いたり、笑ったり、怒ったり、うれしくなったり、眠ったり、食べたり・・・は、人間が共通にもっている人間らしさの表現・行動です。どういうときに泣くのか、どこで笑うのか、どこで怒るのか、どういう怒り方をするのか・・・は、その子の行動や表現の描写は、その子らしさを語っています。

 我々の子どもを育む心は、人間らしさと、この子らしさの両方を生きようとしている子どもの姿に期待を持って見つめほほえみかけています。どの子もその子らしく成長発達していくのですが、個性という中には多くの誰もがもつ人間らしさとは少し違和感をもつものがあったりします。「変だ」「おかしい」ということが、その子らしさとして理解されないまま一人歩きをしてしまい障害であるかのように語られることになったり、違いはいつの間にか直すべきものとして語られていくことになります。

 「その子の良さ」「その子らしさ」は、多くの誰もがもっているものと比べられつぶされていくことになっていくのでしょうか。コミュニケーションスキル、ソーシャルスキル、アンガーマネジメント、ストレスマネジメント等々・・・が必要と考えているのは、みんな考えていると思います。

 しかし、これらは片一方からだけ歩み寄るものではありません。ついつい少数派が歩み寄ることを求められますが、みんなとつながりたいと思う心はお互い様のこころで歩み寄っていきたいものです。

 子どもたちや自分も含めた成人の人と向かい合うとき、「ちがい」は間違いではなく、是正するものではなく・・・受けとめていけるように研究会のみんなや出会うべくして出会った人やこれから出会う人と⼀緒に考え続けていきたいと思います。

 2017年まとめ冊子巻頭言から

滋賀LD教育研究会(S.E.N.Sの会滋賀支部会)会長 久郷 悟

平成19年度に始まった特別支援教育、10年の経過とともに「特別支援教育」そのものの名称について尋ね直される教育関係者はさすがにおられなくなった。しかし、学校によってその内容を十分に説明ができないところもある。「教育支援資料」や「個別の教育支援計画」、「個別の指導計画」の存在・価値を見いだせず、子どもの学びの「できなさ」を本人やその保護者等の責に追いやってしまい、教師自らの課題に問いかけないなどの問題が教育現場に残っているように思う。

滋賀では一早く、昭和年代から「発達に偏りや躓きのある子どもたち」の存在に気づき、具体的な取り組みを進めてきた経緯がある。当時、東京学芸大学の上野一彦先生の学習障害のある子どもたちへの実践を有斐閣新書「教室の中の学習障害~落ちこぼれを生まない教育を」に学び、滋賀県版の能動的なスタイルでの研究・研修形態や子どもたちへの具体的な教育実践へとつないできた。滋賀を大きく牽引してくれたのが甲西町各教育・福祉関係諸氏諸機関による町の条例等に絶えず落としながら(足場を固めながら)の体制づくりとシステムの構築化、具体的実践そのものである。「その一歩」があったからこそ、今や、日本の取り組みの先を走っている(はずの)滋賀がある所以。当時から私たちを先導してくださっている北脇三知也先生、藤井茂樹先生、小西喜朗先生のお力によるところが顕著である。

この度、その実践「発達障害児から発達支援システムの構築と具現化」―発達障害児の成長段階に応じた個別の指導や継続した支援を行う「発達障害」をシステム化―に対して、「2017年度第48回博報賞(博報財団)特別支援教育部門」で小西先生が受賞されたことは私たちにとっての更なる力となる。

「つながり、出会い、そして具体的な地域力としての実践」、地域の中でシステム化が図られ、滋賀県内各地への点から面へと縦横への拡がりを期待している私たちだが、今、全国的にみても滋賀の動きが止まっている感がする。

藤井先生には、現在びわこ学院大学教育福祉学部スポーツ教育学科の学科長としてご活躍をいただき、全国各地にも出向かれ、進み行く(取り組みが進んでいく)各地の情勢を間近に見られ、滋賀の失速はどうしたものかと、さぞ心配をおかけしているのだろうと感ぜずにはおれない。胸を張って滋賀の先進的な教育実践を持って講演活動を続けていただきたいところである。また、北脇先生にも今まで歩んでこられた教育実践を次の世代に届けようと多くの教師に特別支援教育について今なお研修の機会を提供してくださっていることから、私たち一人ひとりが再度足下の地を固め直し、誇れる滋賀の実践へと結びつけていきたいものである。

次に続く、私たち「滋賀LD教育研究会」の仲間たち、受け身的な研修会等での資質の向上を図るのではなく、新しい戦力としての仲間の輪を拡げつつ、仲間と語り合い、能動的に子どもたちと実際にかかわり、具体的実践を通した地道な活動をすすめてほしい。

今年も総会を迎えるにあたり、事務局を担ってくれている仲間たちが研究会での貴重な教育実践を茲に集約してくれた。時間と労を費やしてくれた仲間たちに感謝し、本冊子が多くの人たちへの理解啓発につながり、目の前の子どもたち一人一人の支援の輪に拡がっていくことを願う。       合掌


                                                    合掌

 2016年まとめ冊子巻頭言から

滋賀LD教育研究会(S.E.N.Sの会滋賀支部会)会長 久郷 悟

 平成19年度に始まった特別支援教育も10年。母親が学校に我が子についての配慮を申し出られるが、「他にも課題のある子がたくさんいますから」「いろいろしてあげたいと思うのですが先生の数が限られているものですから」等々、言い訳としか思えないことばが羅列され、なかなか母親の思いが届かない。まして、「お子さんに○○しましょうねと声かけをしてもすぐに取り組もうとされません。」子どもの我が儘としか思えないような発言まで出てくる。何度となく我が子のために学校を訪れる母親。「全く受け止めていただけないのはクレイマーの一人としての受け止めしかないんですよね」と言われることもある。では、「多くの課題を持つ子たちに一人でもかかわろうとしているの」「いろいろしてあげたいけど先生が足りないから何もしない」のと確認したくなる。

世界レベルでの「障害者権利条約」批准、国レベルでの「特別支援教育」「障害者差別解消法」施行等々の歩みがあるにもかかわらず、「場による教育」から「ニーズに応じた教育」への歩みが全く理解されず、従来前の「特殊教育」から一歩も歩めていない現状が見られるこの不思議な教育界。そんな状況下で、「基礎的環境整備」「合理的配慮」「連続性のある多様な学びの場」とは何をか言わんやである。

目の前の子どもの困り感に気づけない大人たちが実に多くいる。「生徒指導上の問題」「不登校」「いじめ」等々で子どもが「私のことわかってよ」とサインを出している時点でも気がつかない。

いじめが訴えられると「即対応」とばかり相手に注意を促す教師もいる。その子は一応その場では謝罪するも、さらにいじめを繰り返す。いじめられた子には「またこんなことがあったら教えてね」。こんな対応をする先生に知らせる子はいない。

なぜ「子どもたちは荒れる、登校したいのに登校できない、授業に集中できない、ノートに書き込もうとしない、提出物が出せない、学習内容が理解できない」のか。

子どもは様々な場所で全く想像もつかない(予想できない)ような姿を見せる。その状態・状況下、子どもの見せる姿から、子ども及び周辺の状況が読めるか。子どもが示している(本人も気づけていない場合が多い)「困り感」を見抜けるか。その課題に対して、どのような手段・手法・手立て(配慮・支援)で「一歩」歩む姿につないでいけるか。

私たち「滋賀LD教育研究会」の仲間は、研修会での受け身的な資質の向上を図るのではなく、子どもたちの姿に実際にかかわりながら、保護者の思いに寄り添いながら、語り合いながら歩んできました。また、特別支援教育士の滋賀県支部として、著名な研究者から学ぶ研究も積み重ねてきました。
 仲間たちは徐々に多くの経験年数を積み上げてきました。今後は、次に続く若井支店や観点を持つ人たちの有望な人材を巻き込んでいくことの課題が出てきているように思います。今回も、研究会の様々な実践を茲に集約してくれました。冊子から多くの人たちへの理解啓発につながればと願うところです。

                                                    合掌

 
 2015.1月 活動のまとめ冊子から
 平成19年度から始まった「特別支援教育」は既に8年目を終えようとしています。我が国では国連の「障害者権利条約」批准に向けた法改正がされ、2014年1月20日に批准書を寄託、同年2月19日に同条約は効力を発生するに至っています。教育界では「インクルーシブ教育の構築」に向けた取り組みが各地で進められ、平成28年4月には「障害者差別解消法」が施行されます。昨年度からインクルーシブ教育構築のためのモデル事業が展開され、国立特総研のホームページで「インクルーシブ教育システム構築データベース」でその紹介がされています。今後ますます「合理的配慮」や「基礎的環境整備」ということばがよく聞かれます。地域や職場で何らかの動きは見えてきたでしょうか。
 退職後、県内市町から昨年は1200件あまりの相談を受けました。そのほとんどは、地域や学校の無理解から、年を追っても変わらない不安や絶望感の中、毎日を過ごしておられる保護者や本人の困り感からくるものでした。法整備は次々と進められています。しかし、実際は目の前のお子さんに直接関わっている人たち自らの努力でその課題を乗り越えておられるのが現実だと思います。各市町では、地域と学校、その人となりによってかなりの温度差が生じてきているように思います。そこには、個々人ではなんともしがたい大きな課題がありそうです。
 ところで、当研究会は、さかのぼれば「昭和」の終わり頃に始まります。「土曜教室」や「親子ふれあい合宿」という形で、直接にお子さんとかかわったり、家族に一堂に集まってもらい合宿をしたりしていました。また一方、研究では、「授業についていけない不思議な子ども達」の存在について取り組みを進めていました。小西喜朗先生や藤井茂樹先生と共に共同研究を進め、「福谷恒太郎賞」を、当時滋賀県障害児教育研究会会長であった北脇三知也先生から受賞されました。その後、北脇先生は当研究会長としても長くご尽力くださり、会長として会の骨格を築いていただきました。研究会がここまで深化拡充したのは先生の大きなお力の賜でもあります。現在も北脇先生には顧問としてご指導を仰いでいます。さて、理論や受動的な研究だけでは、目の前にいる偏りやつまずきが見えにくい子たちにかかわるには無理があると、治田小学校前の公民館の2階をお借りして「土曜教室」をスタートさせました。これが当研究会のスタートになると思います。
 研究会に集う先生方が共に歩める先生に誘いかけられ、徐々に多くの先生に集っていただくことができました。そして、「滋賀LD研究会」としての形ができ、事務局を柱に、各部・クラブが毎年計画的、具体的な取り組みを進めてくださるようになりました。現在、多くの先生方のご尽力で、精力的に子どもたちとかかわってくださっていて頭の下がる思いで一杯です。こうして研究会の皆さんの「子どもたちに寄り添う心」「真正面から子たちと向かい合う姿勢」と、特別支援教育に取り組んでくださる先生方の専門性をより高めるための「特別支援教育士・S.E.N.S 滋賀支部」の研修までを統括した「滋賀LD研究会」が今年度新たなスタートを切りました。
 今年度は特に「2014年度滋賀LD教育研究会事業報告書」をこのような冊子にまでまとめ上げてくださり、各部の具体的な取り組みが集大成されることは、自分たちの足下をしっかり固めるための礎になります。会員の皆様に本当に感謝したいと思います。
 最後に、保護者の皆様が、研究会スタート期から「トムソーヤ」として活動を展開してくださり、年々仲間の絆をしっかりしたものにしていただいています。「トムソーヤ」と「滋賀LD研究会」両輪でお子たちの成長を支えたいと考えています。
皆様のご協力に感謝し巻頭のことばとさせていただきます。ありがとうございます。合掌

2015年1月 滋賀LD研究会 会長 久 郷 悟
 
 2013.1.12(土)定例研究会 あいさつ
 ■ 新年度の課題は、地域活動の活性化ではないかと考えている。例えば、長浜では研究グループが活動している。様々な地位
   での活動を把握し、活動への参加やサポート・ネットワーク作りができないものか。

 ■ 巡回相談で感じること。見立てから手立て→本人の社会適応というステージへの積み立てが重要である。しかし、現状では見
   立て・手立てまでは伝えているが、実働へと結びつかないことが多い。各自治体の財政や特別支援教育に関わる人材の資質に
   関係してくる。教員のOBでボランティアを組織化することができないかと考えている。もちろん、各自治体・学校現場でサポートを
   成功させるには、教材や指導の方向性をしっかり出すことが大切である。各地域でいろんな形で動いている。教師の経験者たく
   さんおり、専門性を活かせる役目を担いたいと思っているのではないかと思う。

   今年も、こどもたちのため、研究会の活動を充実させましょう。

 
 2012.7.1 会長就任のごあいさつ 北脇三知也
   6月30日に開催された総会において、リニューアルした本会の会長をお引き受けすることになりました。リニューアルしたと申しましたのは、

(1) これまで独自の組織であったSENS滋賀支部の会の活動を本会の研究・研修部活動に含めることになったことです。

(2) このことにより、滋賀LD教育研究会として従来から実施していた研究・研修活動の一部がSENS滋賀支部の会の活動として位置づけることができ、この活動への参加者は特別支援教育士資格認定協会に申請することで、更新ポイントの取得が可能になりました。本年度の事業として、WISC-Ⅳ検査法の講習会や講演会などを取り上げ、より充実した研究・研修活動になるようにしました。

(3) また、SENS資格取得者の方々が本会の加入いただくことで、ご活躍の場を提供することができ、手を携えて、本県特別支援教育の推進をめざすことが可能になります。
 本会は、平成5年の8月に上野一彦先生をお迎えして設立総会を持ち、その後、研究活動をはじめ、親の会とタイアップした相談会や宿泊学習、青年学級、土曜教室、中学生チャレンジ活動など、さまざまな事業を展開してきました。創立20年を間近にして、このようなリニューアルが図れたことは感慨深いものがあります。
 一方、SENS滋賀支部の会では、1月29日の日本LD学会・公開シンポジュウムの開催が大きな仕事でした。幸いにも会員のみなさまの格別のご協力で、盛会裏に終了することができました。この概要は、学会誌「LD研究」の次号で特集を組むとのことで、8月の発刊を心待ちにしているところです。
 さて、私は高齢を理由に滋賀LD教育研究会代表の座を降りていましたが、今回のリニューアルを機に、再び会長(規約の改正で代表を会長に)に就任することになりました。老骨に鞭打って、本会のあるべき方向を打ち出していきたいと願っています。

 会員のみなさまの一層のご協力・ご支援をお願い申し上げます。
 
 <7/23文科省の報告について>
Q. 「インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求す る」と言いながら、「それぞれの子どもが、授業内容が分かり学習活動に参加し ている実感・達成感を持ちながら、充実した時間を過ごしつつ、生きる力を身に 付けていけるかどうか、これが最も本質的な視点であり」と授業内容が分かるか どうかで、一緒に学習できるかどうかをしっかり分けているように読み取れるの です。つまり、分からない人は一緒に学習活動に参加できない?となるのでしょ うか。例えば、重度の知的障害を持つ人は、通常の学級では充実した時間を過ご せないということなのでしょうか。 よくわかりません。どなたか教えて下さい。
会長より 
A. 2 , 3 年前、竹田契一先生から、「今後の特別支援教育のあり方の検討では、アメリカなどが実施しているフルインクルージョンではなく、わが国が進めている特別支援学校や特別支援学級を認める方向になりそうだ」とのお話でした。その理由として、
① フルインクージョンでは、ものすごい財政負担になることです。5 年前、サンフランシスコの学校を、藤井茂樹さんらと視察しましたが、小学校の学級には、1 クラス2 6 ,7人の子どもに、5 , 6 人のおとなが配置されていました。この中には、ボランティアも2 , 3 人混じっていましたが、大変な人件費です。重度な障害のある子どもも共に学ぶ場を整えようとすれば、これほどの手厚さが必要なのだと思いました。

② もう一つは、アメリカのフルインクルージョンが、必ずしも成功していないのです。重度な障害のある子に対しては、それなりに充実した時間が保証されていて、彼らの自己実現に役立っているとのことでした。しかし、軽度な知的障害や発達障害のある子どもの社会自立には、成果をあげていないという結果もあるとのこと。7年前、竹田先生の視察ツアーに参加し、カリフォルニアのH E L P グループの実践に触れました。N P O が運営している就労にシフトした学校でした。各地から、軽度な子どもが大挙して入学しています。卒業後の就労に成果をあげているからです。インクルーシブとは逆行する取り組みにはさまざまな反対があるが、自分たちは成果をあげていると胸を張っていました。面白いと思ったのは、地域の学校でI E P をもっている子に対しては、H E L P グループの学校に入った場合、その費用は公費で負担されるとのことでした。フルインクージョンを標榜して進めたれているアメリカで、そこからはみ出し、特別な学校が実施しているトランジッションプログラム(就労のための指導計画)に乗ろうとすることを、認めているのです。
このような体験から、先の「報告」を見ていきましょう。フルインクージョンは、確かに理想ではありますが、さまざまな個別の教育的ニーズに応えようとすれば、その実現には、財政的負担や支援方法のバリエーション等の問題を克服しなければなりません。すぐさまは不可能でしょう。窮余の策として「合理的配慮」を持ち出してきたのでしょう。報告書には、「インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる柔軟で多様なた仕組みを整備することが重要である。小・中学校に置ける通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある「多様な学びの場」を用意しておくことが必要である」と、基本的立場を述べています。

私は、それぞれの個の充実を抜きにしては、インクルーシブは、形だけのものになってしまうと思っていますから、個の充実を図る合理的配慮として、特別支援学級や通級指導教室の存続は不可欠だと考えています。
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